「中る」の意味のお話。
どーもどーもフクモリです。
今日は雑多な記事です!
ゆるりとおつきあいくださいませ。
私は本とか文字とか書くの得意なタイプではないんですが、好きなことに関する記事ならよく読んでいます。
私の好きなことといえば弓道以外だと、野球、ビジネスや経済に関すること、その他だと時事的なネタとかも好きです。
そういった情報を検索しては調べたりしているのですが、テレビだけは全く見ないんですよね…
情報を得ようとする時に、自分の時間をテレビの放送時間に合わせるのが大嫌いで、
同じニュースを扱っていたとしても
「わざわざテレビじゃなくても、ネットでニュースの記事は読めるやん!」
てなっちゃうんですよね。
ネットで記事を読む習慣は中学校からですので、かれこれ10年くらい続けていて、毎日少なくとも20記事は目を通しています。
そういう習慣を続けていくと…
「あれ、この何ていう意味なんだろう?」
だとか
「今までこの言葉をこういう使いしてきたけど、使い方あってるのかな?」
とか思い立ってしまうわけです。
難読な漢字とかも、気がつけば読めるようになっていたりします。
そこで、弓道において矢が的に的中することを「中る」と書きますよね。
何で「当たる」じゃないんだろうとか考えたこともありました。
なぜ「中る」なのかは諸説あるようですが、禅の考え方が影響しているようですね。
はっきりとしたことはわからないので、ここでは深く触れないことにします。笑
この「中る」という表現、珍しいですよね。
そこで弓道以外でどんな場面で使われるのか調べてみました。
すると、結構「当たる」と混同されることが多いようですね。
結構…?いや、ほぼ同じか…。笑
その中で興味を引いたのが【毒に中る】という使い方。
物た事柄以外にもネガティブなイメージに対しても使われることに、妙に興味がそそられました。
食中毒に代表される「中毒」という言葉。
よくよく考えてみれば「毒に中る」なのでそのままの意味ですが、なんか弓道に共通するものがあるな〜なんて考えていました。
的に矢が中ることって、素直に嬉しいじゃないですか。
それを多く味わうためにみんな研鑽を積むわけで、自身の大切な時間を弓道の練習に注ぎ込み、上手くなろうと努力するわけです。
先生方からこんな言葉を聞いたことがありませんか?
「的に囚われるな」
「中てようとするな」
どちらも過度に求めないようとする戒めの言葉ですが、現実問題、的中を求めすぎたり中てることに囚われてしまう人っていうのは一定数います。
そして却って的中が落ちてしまったり、射が悪くなったりといった悪循環に陥ってしまうことがあります。
これって何だか「的中への中毒だな」とか思ってしまったわけです。
的中が多く得られる
↓
もっと求めたくなる
↓
これまでの平均やそれ以下の数字では満足いかない
↓
結果が伴わない
↓
さらに求める
何だか依存サイクルのようですね。
中毒という言葉自体には、すでにあるものに対しての依存度が高く、少しでも不足すると非常に強い飢餓感を持つこと、とも定義されています。
まさにこのことだと思いました。
もちろん弓道は勝負の世界でもありますから、勝ちにいくために的中を狙いに行かなければならない場面があります。
そういった一時的な心理変化で済むものであれば問題はないのでしょうが、これが習慣化すると中毒になってしまうということなんでしょうね。
これが先生方の仰る
「的に囚われるな」
「中てようとするな」
の真意だと思うのです。
そういう戒めがあるのにも関わらず、弓道で使われる「中る」の意味の中に「中毒」といったようなネガティブな意味も含まれていることに、何とも皮肉なもんだなと思ってしまった次第です。
的に的中させる執念が良い悪いにではなく、その使いわけとベクトルのコントロールが大事なんだなと改めて思い知らされたように感じました。
繰り返しますけど、的中を求めることが絶対悪ということではありませんよ!
用法用量を守って、精神をコントロールしていきましょうね。
でないと皮肉な結果になるかもね。
というお話でした( ˘ω˘ )